「ノイズ」映画 原作との違いは?漫画版と映画版を比較してレビュー!


映画「ノイズ」は筒井哲也によるマンガ、ノイズ【noise】を原作にした日本のサスペンス映画です。

僕は、全3巻で完結の原作マンガを先に読んでから鑑賞しました。というわけで原作からアレンジが加えられた部分などの紹介・比較をしていきます。

作品情報

監督:廣木隆一
出演:藤原竜也、松山ケンイチ、神木隆之介、黒木華、伊藤歩、渡辺大知、酒向芳、迫田孝也、鶴田真由、波岡一喜
製作年:2022年
製作国:日本
上映時間:128分

あらすじ

猪狩島のイチジク農家・泉圭太が育てる“黒イチジク”が全国的な人気となり、島民たちは地元の活性化に期待を寄せていた。そんななか、小御坂睦雄という怪しげな男が圭太の前に現れる。圭太は娘・恵里奈が睦雄に襲われたのではないかと疑い、もみ合いとなった末に睦雄を意図せず殺してしまう。そこに居合わせた漁師の田辺純、駐在所勤務の警察官・守屋真一郎とともに殺人の隠ぺいを図ることになるが、他の事件で睦雄を追ってきた警察によって、圭太たちは次第に追い詰められていく。

映画と原作の違いは?

原作からの変更点まとめ

原作からの映画化されるにあたって変更された点を大雑把にまとました。

・舞台が本州の田舎から離島になった。(猪狩町→猪狩島)

・小御坂睦雄のキャラ付けが変わっている。原作は、丸坊主の粗野で動物的なオッサンといった感じで現実にもいそうな感じが良かったです。映画での睦雄は、幼児的で小児愛者になっていました。いちごミルクの幼児性を表すアイテムとしての使い方もうまく、役者もとても気持ち悪い演技をしていてこれはこれでいいのですが、個人的には原作の睦雄のキャラのままを見たかったですね。

・真一郎の自殺に関して変更がある。原作では真一郎が自殺を図るも一命をとりとめる。一方、映画では自殺して亡くなっている。

・圭太とその妻・加奈は原作では離婚寸前で別居しているが、映画では普通に仲が良く一緒に暮らしている。

・作品のタッチが少し違う。犯罪を町ぐるみで隠蔽する異様な村の実態が強調されて描かれていて原作に対し、映画は村社会で生きることのツラさがテーマになっている。

・性別が変更されたキャラがいる。町長の庄司と刑事の青木がどちらとも男から女になっている。

・原作では圭太が睦雄に噛まれた手首を刑事の畠山に見られている。圭太はイノシシに噛まれたとうそをつくが、畠山は人間のかみあとだと気づいているという描写がある。もうこの時点で睦雄を圭太が殺したと畠山は気づいている感じがあって、そのあと犯行がバレるかどうかの緊張感が薄れている。映画では包帯を巻いていてかみあとを見られていないのでいい改変だと思います。

感想

本作は、男たち3人が意図せず人を殺してしまいその死体の隠ぺいを図ろうとするが警察の捜査によって次第に追い詰められていくという、閉鎖的な離島を舞台にしたサスペンス映画。

全3巻で完結の原作との比較を交えながら、感想を語っていきます。

原作が強調して描いていたのは、「見知った人物のみで構成された小さな共同体」における事なかれ主義、または仲間に対する度を越した忖度や妄信といった、ハタから見るとドン引きしてしまう村社会の姿でした。

原作では、村人たちは事件を捜査するためにやってきた警察に非協力的な態度で接し、嫌がらせをしたりもします。また、自分たちの身内に人殺しがいるはずがないと信じ込んでいて、疑問を持つことさえありません。駐在所の警察官でさえもそんな村の色に染まっており、泉たちの隠ぺい工作に気づきながらもあえて見逃すなど、村の平穏を保つことが最優先です。といった具合にとにかく村の人々の価値観・倫理観がオカシイのです。

そんな狂ったヤバイ村を、客観視点で「この村やべぇw」と怖がりながら読むのが面白い作品でした。

映画で描かれるのは村社会で生きることのツラさ

映画もヤバイ村モノの側面が描かれていますが、そんな村社会で生きることの息苦しさ・閉そく感がしみじみと伝わってくる作品に少しアレンジされているというの印象です。

どこが原作から変わっているのかというと、舞台の設定、圭太、真一郎、加奈、純のキャラクターやその行動などです。

まず、舞台が原作の本州にある村から離島に変更されています。どこにも逃げ場がない感じが舞台を離島にすることでより強調されていています。

また、圭太の黒イチジクがテレビで放送されるタイミングにも注目です。原作は、1巻の冒頭にテレビ放送があって、そのあとに圭太たちが小御坂睦雄を殺す展開があります。映画は、その逆で睦雄殺害のあとにテレビ放送。また、原作では村人たちがそのテレビを見ている場に圭太はいないのですが、映画は村人たちが超絶盛り上がりながらテレビを見ているなかに圭太も同席しています。

この変更によって、自分が村人から過剰な期待をされていることを圭太が身をもって感じることになり、それが重圧となった結果「こんなに期待されているんだから人殺しを隠し通さなければいけない」という殺人隠ぺいへの気持ちを強めることになります。

殺人の隠ぺいに加担する警察官・守屋真一郎のキャラも細かい変更が加えられています。彼は原作では舞台とは関係ない土地の出身ですが、映画では猪狩島が彼の地元になっています。この変更で彼が自殺を図る意味のニュアンスが変わっています。原作では自分の隠ぺいがバレそうになり絶望して自殺したといった感じですが、映画では、「島のために」「昔馴染みの圭太や純のために」という彼なりの故郷や仲間に対する思いが込められています。

さて圭太の妻である加奈についても原作からキャラが変わっていることに注目です。圭太や真一郎が表向きは島に愛着がある人物として描かれている一方で、加奈は島で生きることが窮屈に感じていることを言葉で表明している人物です。原作では彼女がそういうセリフをいう場面はないので、やはりこれも「村社会で生きることのツラさ」に焦点を合わせたアレンジといえます。

※ここからは重要なネタバレあり

そして、純のとる行動にも大きな変更があります。原作では終盤に以下のような展開があります。圭太と純の二人は協力し、圭太が町長の庄司ともめて焼身自殺したように見せかけ、圭太自身は山奥で逃亡生活を送る。純はその生活の援助を何年も続ける、といった具合で純は最後までイイヤツなのですが、映画は違います。

映画での純は睦雄などを殺した犯人が圭太である、と島民や警察にメッセージを送り、圭太ひとりに罪を擦り付け刑務所送りにしています。その理由は、純は圭太の妻・加奈のことが子供のころからずっと好きで、邪魔者であった圭太を排除し加奈とくっつきたかったからです。ラストで純の部屋の壁一面に貼られた加奈の写真から彼のゆがんだ愛情が伝わってきます。変化が少ない島という環境で視野が狭くなり、かなわぬ恋に執着しつづけてきたのかなと想像すると何ともむなしくなってきます。純が島に魂を囚われた悲しい人物だと思えて観ていて気分が落ち込んでしまいました。

というわけで、原作と映画を比較してみると、映画では「村社会で生きることのツラさ」がテーマになっていることがハッキリとわかる、というお話でした。

まとめ

原作から内容をところどころアレンジして、テーマを少し変えていると個人的には感じました。ラストで真実が明かされたときのもの悲しい余韻がいまでも忘れられません。

原作を読んでいない方はもちろん、既読でもラストにかけての展開が大きく違うので新鮮な気持ちで楽しめると思います。

ノイズ【noise】 1(kidle版)
ノイズ【noise】 2(kidle版)
ノイズ【noise】 3(kidle版)



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