映画「変な家」は原作とどう違う?この映画化は失敗だったのか?


3月15日に映画「変な家」が公開されました。

同名小説を原作とした映画ということで、映画は観たけど原作は未読という方もいらっしゃると思います。

そこで、今回は映画と原作の違いの解説、原作小説も読んだ僕自身の感想をお伝えします。

結末のネタバレを含むのでご注意ください。

マルチメディア展開する「変な家」

と、その前に「変な家」っていろんなバージョンがありすぎてわけわからん、という方のためにここでいちど整理しておきましょう。

「変な家」のバージョンは以下のようになっています。

・ウェブメディア「オモコロ」版
・Youtube版
・コミック版
・小説版「変な家」、「変な家2」

映画「変な家」が原作とするのは小説版「変な家」です。小説版は、オモコロ版あるいはYoutube版(両者は同じ内容)の内容だけでなくその続きの話までを含んだ内容です。

ちなみに、小説「変な家2」は上記のどれともつながりがない別物のストーリーです。

ジャケガリ君
ジャケガリ君

以下で原作と表記するのは小説版「変な家」であるとご留意ください。

映画と原作の違いは?

バージョンの整理も終わったところでここからは映画と原作の違いについて解説していきます。

主人公の設定

主人公の設定に変更があります。

映画では主人公はオカルト・怪談語り系動画クリエイター。チャンネル名が雨男で本名は雨宮。

一方原作では、主人公の「筆者(雨穴)」はオカルト専門のフリーライターとなっています。

雨穴さんは実際にYoutuberでもあるので、それが映画にも反映された形です。

ジャケガリ君
ジャケガリ君

その見た目に関しても雨穴さんは黒い全身タイツに白いマスクに対し、映画の雨男はスクリームのゴーストフェイス風、とその姿が微妙にアレンジされています。

バッサリ省かれた「左手供養の儀」

ここでは映画と原作での「左手供養の儀」の描かれ方の違いについて紹介します。

映画では、雨男が「変な家」の謎に迫るなかで、変な家が建てられた原因が片淵家という名家にあることを突き止めます。

雨男は山奥の村にある片淵家の屋敷を訪れ、かつて片淵家で起きた悲惨な出来事とそこから始まった「左手供養」なる儀式について知ることになります。

明治時代、片淵家の当主には正妻と愛人がいた。愛人の高間潮(たかまうしお)は正妻に暴力を振るわれ、それが原因で流産。精神を病んだ潮は自分の左手を切断し亡くなってしまう。その後、片淵家では左手のない子供が生まれるようになる。当主はこれを潮の呪いだと考え、霊媒師の助言により始まったのが「左手供養の儀」。それは、潮の呪いを解くために片淵家に生まれた子供を10年間光をさえぎった場所で育てたのち、その子供に3年間に渡ってひとりずつ人を殺させるというものだった・・・。

というのが映画で描かれる「左手供養の儀」に関する描写です。

一方、原作ではもっと話が複雑です。まとめると以下のような内容になります。

・複数の事業を展開する片淵家の当主が長男・宗一郎を跡継ぎに任命。
・それが不満だった次男・清吉が家を出て、自分で事業を立ち上げ大成功させる。(分家の誕生)
・本家当主は宗一郎を高間潮という雇い人と結婚させる。
・しかし、宗一郎は実の妹(千鶴)を妊娠させてしまう。
・清吉は宗一郎の失態を利用し本家の人材を引き抜き、財産の多くを奪っていく。
・本家に嫁いだ潮はみじめな暮らしを送り、気を病み自分の左手を切断し亡くなる。
・宗一郎と千鶴の間に双子(麻太、桃太)が生まれるが桃太には左手がなかった。
・宗一郎はこれを「潮の呪い」だと恐れた。
・正体不明の呪術師が「潮の呪い」を解くには「左手供養」を行う必要があると助言する。
・それは桃太が10歳になったら、清吉の子供を殺させること。
・結果的に、桃太は清吉の子供を計3人殺した。
・実は呪術師の正体は清吉の第2夫人の妹だった。
・第2夫人は自分の子供を清吉の跡継ぎにするため、妹を使って他の夫人の子を本家側に殺させたのだった。

以上が原作における「左手供養の儀」周りのお話です。

ここでの映画と原作の違いはこのようになります。

・本家と分家の争いが映画ではカット
・清吉や千鶴に当たる人物が映画では登場しない
・宗一郎と千鶴の肉体関係も映画ではカット
・麻太、桃太という双子も映画には出てこない

また、設定の細かな変更もあります。

・高間潮が命を絶つ理由が違う
映画』宗一郎の本妻に虐められたこと
原作』本家と分家の対立の末、みじめな生き方を強いられたこと
・「左手供養」を提案した人物が違う
映画』霊媒師
原作』呪術師

さて以下は原作の左手供養の儀についてもっと詳しく紹介したものになります。あまりにも長いので気になった方だけ読んでください。

原作における「左手供養の儀」

明治時代、複数の事業を展開する片淵家の中で特に優秀な手腕を発揮した片淵嘉永という人物がいました。病気を患った嘉永は跡継ぎに長男・宗一郎、次男・清吉のどちらを任命するか悩みます。リーダーシップがある清吉が明らかに適任であるにもかかわらず彼が妾の子であることを理由に内気な宗一郎を跡継ぎに選びます。これに納得いかなかった清吉は家を飛び出し、自ら事業を立ち上げ見事な手腕で急成させます。その後、清吉はある女性と結婚し、ふたりの間に子供が生まれます。こうして清吉を当主とする片淵分家が誕生。

一方、本家の宗一郎は奥手ゆえに結婚相手がいませんでした。跡継ぎができないことに危機感を抱いた嘉永は屋敷で働く高間潮を宗一郎と結婚させます。

しかし、このころ、片淵本家の業績は次第に悪化。さらに、宗一郎の実の妹である千鶴が宗一郎との子供を身ごもるという前代未聞の事態が起きてしまいます。

この話を聞きつけた清吉は、妹と不義の行為に及んだ宗一郎は経営に向いてないと大演説をうち、本家の優秀な人材を分家に引き込んでいきます。最終的には本家の財産と事業の経営権のほぼすべてが分家に吸収されてしまいました。本家には屋敷と土地、少しの財産、数人の雇人だけになってしまいました。

高間潮はみじめな貧乏暮らしを強いられたうえ、山の中の屋敷で愛のない夫と、夫の子供を妊娠した義妹と3人暮らしをすることになり次第に精神を病んでいきます。ある日、潮は包丁で自分の左手を突き刺し、その左手を畳に打ち付け、手首は皮膚の皮一枚を残し、ちぎれてしまいました。

潮の死後、千鶴は双子の男の子(麻太、桃太)を出産。なんと桃太には左手首がありませんでした。宗一郎はこれを潮の呪いだと考えました。麻太、桃太が3歳になるころ、片淵家に蘭鏡(らんきょう)という呪術師が訪ねてきます。蘭鏡は、潮が恨んでいるのはすべてを奪っていた清吉であり、彼に復讐しなければやがて桃太が死に至ると告げます。

蘭鏡によると、潮の呪いを解く方法は以下のようなものでした。

・桃太を、太陽の光が届かない部屋に幽閉する。
・屋敷の外に離れ座敷をを作り、そこに潮の仏壇を安置する。
・桃太が10歳になったとき、清吉の子供を桃太に殺害させる。
・左手首を切り取り、仏壇に奉納する。
・麻太が後見役として、桃太を補助する。
・これを、桃太が13歳になるまで毎年行う。

この「左手供養」を提案した蘭鏡の正体。それはなんと、清吉の縁者だったのです。清吉には5人の妻と、6人の子供がいました。第二夫人・志津子は自分の子供を跡継ぎとするため、妹の美也子を頼ります。美也子は蘭鏡という呪術師に扮して本家に赴き、「左手供養」と称して、清吉の子供を3人殺させたのです。

ラストが違う

ラストの展開が映画と原作で大きく違っています。

※ラストのネタバレがあるのでご注意ください

・片淵の屋敷での出来事
映画』片淵家の屋敷で雨宮たちが「左手供養の儀」の生贄にされそうになります。
原作』そもそも「筆者」たちが屋敷に行くシーンがありません。
・片淵慶太の行方
映画』「左手供養の儀」で当主の重治やその甥・清次に殺されそうになった雨宮たちを片淵綾乃の夫・慶太が身を挺して逃がし、彼自身はその後行方不明になっています。
原作』慶太は重治や清次を殺害・遺棄し、警察に捕まっています。
・喜江の企み
映画』綾乃の母・喜江が綾乃の代わりに「左手供養の儀」のために人を殺しその左手を奉納していたとほのめかされる描写があります。
原作』そのようなシーンはなく映画オリジナルです。
・雨男の家も実は・・・
映画』雨宮の住むマンションの一室もまた変な間取りの家であることが明かされます。
原作』小説にはこの展開はなく映画のオリジナル展開です。

感想

ここまで映画と原作の違いを紹介してきました。

ここからは、原作を読んだ人間の視点で映画版の感想を語っていきます。

映画「変な家」ですが、率直に言ってクソでした。

冒頭で床をひっかくこわ~い女性が出てきた時点で嫌な予感はしていたのですが・・・。

ジャケガリ君
ジャケガリ君

(最初からいきなりこのシーンをぶっこむセンスってどう????)

冒頭でも述べた通り、原作にはある特徴があり、それが映画化にあたって大きく改変が行われた理由でもある、と僕は考えます。

それは、原作の主人公が作品内の事件に直接関与しない第三者であるということ。

主人公である「筆者」がとる行動は関係者への聞き取りとそれに基づく考察・推理。現場に出向いてそこで事件に巻き込まれたりといった危険な目に遭うことはありません。

原作はそういうスタイルなのでそれでいいのですが、これをそのまま映画でやろうとすると、ハラハラドキドキの刺激を求める観客にそっぽを向かれてしまう、という危機感が製作陣にはあったはずです。

そこでこの映画では、主人公を事件をリアルタイムで体験する設定にして危険な目に遭わせることで、観客のニーズを満足させようとしました。変な間取りの家に隠された謎を解き明かす落ち着いた推理ミステリーから、恐怖演出をふんだんに盛り込んだ刺激たっぷりのホラー映画に大きく舵を切ったわけです。

そもそも原作小説が映画向きではないため原作通りの映画化は難しかったと思います。ただ、そう考える僕でも、この改変はあまりにも極端すぎだと声を大にして言いたい。

安っぽくて小手先だけの恐怖描写が多すぎです。

たとえば、恐ろしげな女性のいきなりのどアップとクソデカ効果音。いわゆるジャンプスケアというやつですが、こういう即物的な驚かせ演出を多用しすぎで、原作の静かな恐怖が全く感じられません。

刺激の強い興行向けの作品にするにしても、もっと原作を尊重したバランスというものがあったはずです。

ジャケガリ君
ジャケガリ君

せめて、「変な家」のなかで殺人が行われる様子を見せる、といった映像化ならでは、かつ、原作ファンの興味を引ける描写があればなぁ・・・

雨男と柚希が変な家に侵入するシーンがあっておっ!とテンションが上がるのですが、二人がすぐに家を出てしまうのでお預けを食らった気分です。

あと、原作の、片淵家でかつて洋一くんと少年が不可解な死を遂げた事件を推理するというエピソードがごっそりと削られたのも不満です。原作の面白さって変な間取りを使った殺人を考察するという部分なので、なんとしても入れてほしかったところです。

まとめ

正直言ってこの映画化は失敗だと感じました。

過剰すぎる恐怖描写のせいで、安っぽくなり、原作の静かな怖さを全く感じられません。

そして個人的には、映像でしか表現できない描写が全く入っておらず、がっかりしてしまいした。

そのくせ、単に不快感だけが残るムダな演出やキャラ設定が多く、イライラさせられます。たとえば、柳岡さんをパワハラ気質の嫌な奴にキャラ変させる必要ある?東京の変な家の隣人女性がスマホで他人の家の中を撮影する無神経な描写にもイラっと来ました。爪のひっかき音も無駄とは言いませんが、不愉快なのは間違いありません。

最後に良かったところを一つだけ。あの片淵家のお面です。あれはめちゃくちゃ怖くてぞっとしてしまいました。

というわけで、映画しか見てない人はぜひ原作を読んでください。原作しか読んでない人はむりに映画を観る必要はありません。

以上です。

オモコロ
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